ソフトウェアエンジニアになりたい学生の糞の垂れ流し

 日本人は欧米諸国と比べ形而上的なものより、形而下のもの、実存を求める傾向が強い。これは22年間日本で生きてきた人間の悪い思い込みかもしれないが、しかし僕とて日本人であり、デザインだけの話を聞くとやれ「ポエム」だの「実際のところ何ができるんだ?」という思考に陥る。もちろんこの考え、実存を求める考えは間違っていない。実存を産み出すことができる能力は力だ。石をパンに変える奇跡は現代の人間に必要なのだ。

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 しかし間違わないで欲しいのは結果は操作できるものではない、結果は結果でしかないということだ。結果の上には手法があり、手法の上には目的がある。目的のさらに上には…僕はここに人類の発展があると思う。つまり全ての人間の創り出す結果はすべからく人間の発展に基づいたものである。というのが僕の持論だ。

 人間がみな利他的な目的を持った存在であれば、上記のような思考を得る必要はなかったであろう。しかし実際は、JASRACが不当な著作権料の申し立てをしたり、電通がアニメの制作費を差っ引いていたり、資本家が偏った利益を出しているのが現状だ。昨今なぜくだらないライトノベルが頻繁にアニメ化しているのか。なぜくだらないソーシャルゲームが作られているのか。なぜくだらないコピーアプリが作られているのか。それは投資に対して十分に、安定的に利益が出るコンテンツがそれぐらいしか無いのだ。結果くだらない作品を作るルーチンが発達し、高度な技術・デザインによって創作された作品は淘汰される。小銃を持たせて戦わせても大して戦果が出ない、なら多くの人間に竹槍を持たせよう。というのが資本家達の考えなのだ。今に枯れた土地になるだろう。資源に乏しいこの国では特に。

 なぜこのようなルーチンが発展してしまったのか。現代の超時間の残業に晒されている会社員達はまさに神風特攻隊だ。資源も文化も技術もドクトリンもない。ならば我々はどうやって戦果を上げるのか…?今までのパンの水準を落とさないためには命を削るしかないのだ。

 とはいえ深刻な経済破綻に発展してないところを見ると、この日本の中にいる一部の天才達の影を感じずにはいられない。しかし我々は彼らに甘んじてはいけない。時代を動かすのは天才だが、時代を作るのは我々凡人なのだ。問題は我々は彼らに追従しようとしていない。利己的な目的に基づいている点であると言えよう。

 我々が努力不足である、という点を問いたいのではない。ただ我々は少し自分のことを考えすぎなのだ。JASRACにしても、電通にしても、高品質の作品を作るルーチンに投資していれば、そこから産まれる作品が世界からの評価を集め、投資する側もされる側も今よりずっと豊かになれたというのに。最新鋭の国内3Dアニメーション映画が、映画館で見るより早くストリーミングで再生できることに喜びと悲しみを感じる。

 現在僕は修士1年だが、学部4年の際に大手IT企業に対し就職活動していた。僕の実家は裕福とは言えず、研究に費やす熱意もなかったので、みなさんのご多分に漏れず、早く実存を得たかったのだ。くだらない同じような話を1・2・3回と繰り返すと4回目ぐらいで終わる糞面白くない行事だ。しかし僕は全ての就活に失敗し、現在修士1年である。

 ただ僕が唯一許せなかったのは、深く考えなくなり、成長を失うことだった。午後も大分過ぎた割にすっかり元気を保っている彼らは、最後の面接官だ。一目見ただけでわかる。彼らは既に、厭世、停滞、閉塞感、全てを経験し、そして抜け出せず、諦め、人事の上層部という地位に立っている。上場企業のベテラン人事で、妻と子もいて、一軒家に住んでいて、絶賛人生下り坂。このような、一体何が楽しくて生きているのかわからない人の下で働くことだけは、いや例えこのような人間の下で働くとしても、今ある微かな思考と成長だけは失いたくなかった。

 とは言え私も自分の能力の限界を感じつつある。自分が本当に満足できる、自分より少し能力が高い人間と一緒に働ける現場にありつけはしないだろう。文理不問の現場でデザインもドクトリンもなく、思考を捨て死の床に向かって特攻するのだ。しかし、今この時の場末に書く糞の垂れ流しのような青春ポエムぐらいはまともでありたいと願う。